ディズニーの創始者ウォルト・ディズニーが自宅の庭に本格的な鉄道を作っていたって知ってましたか?
実はこの庭の鉄道こそが、後のディズニーランドの鉄道の原点となったんです!
鉄道への深い愛情から生まれたこの素敵なエピソード、気になりませんか?
今回はウォルト・ディズニーが作った庭の鉄道について調べてみました!
ウォルト・ディズニーが作った庭の鉄道の名前は何?
ウォルト・ディズニーが自宅の庭に作った鉄道の名前は「キャロルウッド・パシフィック鉄道」です。
この素敵な名前は、ウォルト自身がデザインして付けた特別なものでした。
キャロルウッドという名前は、ウォルトが住んでいた場所の地名から取られています。
パシフィックという言葉を加えることで、まるで本格的な鉄道会社のような響きを持たせていたんですね。
そして、この鉄道で走っていた機関車には「リリー・ベル」という可愛らしい名前が付けられていました。
実はこの名前、ウォルトの奥さんであるリリアンの名前から取ったもので、「麗しのリリー」という意味が込められていたそうです。
なぜウォルトは庭に鉄道を作ったの?
ウォルト・ディズニーは子供の頃から鉄道が大好きでした。
お父さんのイライアスが鉄道員として働いていたり、おじさんが鉄道のエンジニアだったりと、鉄道は彼の身近な存在だったんです。
幼少期に過ごしたミズーリ州マーセリーンという町には、サンタフェ鉄道が走っていました。
ウォルトはその鉄道の走る音がとても好きで、いつも聞いていたそうです。
大人になったウォルトは、自分へのご褒美として立派な電気機関車のおもちゃを買うだけでは満足できませんでした。
ついに自宅の庭に本格的な鉄道を敷設してしまうほど、鉄道への愛情が深かったのです。
この庭の鉄道はどんな規模だったの?
キャロルウッド・パシフィック鉄道は、かなり本格的な規模で作られていました。
1950年にホーンビーヒルズの家の敷地に建設されたこの鉄道は、ミニチュア鉄道で、実際に人が乗ることができる大きさでした。
週末になると、ウォルト自身や家を訪れたお客さんを乗せて走らせていたそうです。
家族や友人たちと一緒に鉄道を楽しむ時間は、ウォルトにとってかけがえのないものだったんでしょうね。
庭には納屋も建てられていて、ここが鉄道の修理や整備をする作業場として使われていました。
この納屋は「キャロルウッド・バーン」と呼ばれ、現在もグリフィス公園で保存されているんです。
この庭の鉄道がディズニーランドにつながったってホント?
はい、ホントです!
ウォルトがテーマパーク作りを考え始めた時から、鉄道は一番初めに構想に入っていました。
キャロルウッド・パシフィック鉄道での経験があったからこそ、ディズニーランド鉄道は最も簡単に設計できたアトラクションの一つだったと言われています。
カリフォルニアのディズニーランドが開園した時、園内を走る鉄道の車両の一つに「リリー・ベル」という名前が付けられました。
これは庭の鉄道で使っていた機関車と同じ名前で、ウォルトから奥さんへの素敵なプレゼントでもあったんです。
現在でも世界各地のディズニーリゾートには鉄道が走っていて、ウォルトの鉄道への愛情が受け継がれています。
東京ディズニーランドのウエスタンリバー鉄道も、その一つなんですよ。
ウォルトの鉄道愛が教えてくれること
ウォルト・ディズニーの庭の鉄道「キャロルウッド・パシフィック鉄道」は、単なる趣味を超えた特別な存在でした。
子供の頃からの夢を大人になっても大切にし、それを形にする情熱こそが、後の素晴らしいディズニーランドの誕生につながったのかもしれませんね。
奥さんの名前を機関車に付けるなんて、なんてロマンチックな話なんでしょう。
今度ディズニーランドの鉄道に乗る時は、ウォルトのこんな素敵なエピソードを思い出してみてください!